スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

ビッグデータのもたらす社会

ビッグデータについての報道が、最近一段落したように思う。

記事の多くは、日経(http://business.nikkeibp.co.jp/bigdata/)などを筆頭に、企業がビッグデータ活用で業績を上げる方法や実例、あるいはビッグデータ活用スキルを身につけて給与を上げるコツといった内容がほとんどであったと思う。

こうした情報を整理して見えてくるのはどのような未来像だろうか?

それは個別企業を越えて、産業全体が効率的に制御される未来像である。

例えばパソコン1つとっても、作る機種や台数、その部品を作る数、部品の材料を製造する数、材料のもとになる金属類を掘り出す数、それぞれの工程で使う電気や機械燃料の量、電気を発電する量とタイミング、等の変数がありそれらは個別の企業努力でそれなりに効率化されているのが現状だが、それが徹底されていくのだ。

・効率化の徹底に近づく技術の登場

・効率化すればするほど売上が伸びたりコストが削減できて繁栄するという経済的なモチベーション

の二点が存在する限り、この流れは変わらない。それがビッグデータというトピックで報道されている記事を理解する軸である。


賛否分かれる論点は、そこに人間的な問題が入り込むタイミングで出てきている。WIREDで記事https://wired.jp/special/2016/barack-obama/があるように、研究機関のトップクラスや政治のトップクラスもさらなる社会の注目を必要と考えているのがその管理で、記事中では例えば

・人間の遺伝子に「最適」はあるのか(あるとすれば遺伝子治療などの「効率化」がされることになる)

等の話が出ていた。

ビッグデータの実現につれて、そうしたトピックが持ち上がってくるだろう。医療の進歩が尊厳死のトピックを作り出したように、これからも新たなトピックが出てくるのだ。

賛否の問いについては、人間的な問題に統一的な見解がない以上、効率化にふみこむ合意はないという効率化反対の結論に原則としてなるというのは当然で、困難なのは精神病の判定である。


どこまでの精神的な異常が「正常」か?

映画「17才のカルテ」にあるように、少し心の振れ幅が大きいだけなのだと言えるのはどこまでか?

人を傷つけなければ良いという世論はともかく、幸せを願う親はどこまで子どもの「正常化」にふみこんで良いのか?


かつてアクセスvisionの記事http://blog.goo.ne.jp/kazunotesu/e/0defadd02af46b9570a2251467e62716/?cid=9364244b70d1ff0271c826fc42468781&st=0で扱ったように、それは人の自由をどこまで許容出来るかの話に至るはずだ。

もし許容できないなら、AI×ビッグデータであっさりと意思決定から人は離れてしまうだろう。

以上から、

・効率化すべき部分と認めてはいけない部分の線引き

・技術的に容易になる時代に、効率化を選ばないことの意義を明確にする論理

が今後だんだんと話し合われるようになり、特に後者には人の幸せについての真摯な社会的話し合いがもたれる、というのが僕の見解である。


http://blog.goo.ne.jp/kazunotesu

アクセスvision:様々な市場やビジネスについての動向を考えているサイト


http://amzn.to/2BSihK2

事業〜人々は優れた事業をどのように考えてきたか:優れた事業についての理論を歴史上の複数の書籍を巡りつつ整理した本

スポンサーサイト

コメント