「説明責任」

説明責任について、報道はとても多くの時間をとっているように思う。今に始まったことではなく、どんな組織でも話題にされる、普遍的なトピックである。
もっと言えば、メディアが扱うのはリーダー層の話だが、どんな立場の人でも上司や取引先に問われ、考えるトピックだろう。

定型業務ならルールが組織で決まっているだろうけれど、そういう業務はなくなるだろう。今以上にトピックとして存在感を出してくるんじゃないかと思う。
どこまで説明すれば良いのか整理したい。

一番言われるのが「相手の納得するまで」だけど、それは後からやはりおかしいという話が出てくるわけで、メディアの事例を見ても、例えば都議会一つでも、長い間関係者は「納得していた」から正面きって問われなかったのだろう。
これは当事者も「相手が納得する」の感覚がわからなくなっていたと思える。だからこの感覚に重きをおく視点は有用な論理とは言えない。

説明責任を満たしているかどうか、客観的な型が必要だ。
この視点に立ったとき、法律家の本で読んだ考え方が一番良い仮説に思える。すなわち、
・法律や判例からもってくる判断の論理
・主張する判断の根拠となる事実
をそろえて説明すると満たされる。
意見と事実を分けないと説明の質が下がることは特に注意している。(法律家の本に言及する読書アクセスの記事

説明責任が足りないときに言われる代表的な批判、「事実関係が曖昧」「判断の過程が不明瞭」というのはこの理論での説明があれば足りている。
説明ができているかどうかは、これらを明確に整理して伝えられているかどうかなのだ。
以上から、説明責任を満たしているかは
・判断した論理の回路
・判断の根拠にした事実
を伝えられているかどうかが基準になるというのが僕の見解だ。

1万年の未来予測
一万年前、現代(2017年)、一万年後の日本のライフスタイルをデータを集めて思い浮かべた本。

アクセスVISION
細かいものまで様々な事業や市場の動向を考えているサイト

スポンサーサイト

コメント