自動化の行き先

もう何年も、経済のニュースには自動化の記事が載る。

1999年にはマイクロソフト社創業者のビル・ゲイツが情報収集や加工が自動化され、考えるのと同じスピードでビジネスを進めることを提唱していた。

その後色々な物にセンサーが取り付けられ、インターネットは人の作る連絡だけでなく、物の状態管理にまで情報収集のリーチを広げた。

パソコン作業は既に文章や図表のコピーによって膨大な作業を自動化して減らしてくれていたところ、人工知能(AI)が開発され、単純計算や文書の誤字脱字補完だけでなく人のような質問応答を成し遂げるようになった。ルールの決まっているゲームなら、すでにパソコンの方が強い。(囲碁もチェスも)パソコンが勝手に解決策を探し出してくれるのだ。


自動化の行き先はどこだろう?

経済合理性の論理で意思決定される部分とされない部分で区別するのが最善だろう。

企業財務に国は開示を求めるが、家計財務に開示を求めることは政府で検討されもしていない。

本当に金融危機をなくすなら金融機関だけでなく家計にも財務諸表を開示させ、レバレッジの効いた取引を禁止するのが効果的なのだが、そんな話は出ていない。

ビジネスの外(プライベート)の部分は、世論としてルールを定めない、自動化の対象外の領域なのだ。


プライベートを形作るのは人間関係である。人間関係のコアとしての対話については、これからも様々な理論を人々は考え出し、そのメインは道徳や法律などの形式で力を持つのだろう。

以上から、自動化の進められた先の社会で、人々は対話を考える日々に辿り着くというのが僕の見解である。


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『対話について』カズノリ著

対話についてメカニズムから考えた本。



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